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阪神淡路大震災 活動7日目

2月8日(活動7日目)

早朝近くの喫茶店でモーニングサービス、荷物を乗せて一路駒ケ根へ。
永井氏は帰路相当の疲れがあったのかやっぱり眠っていた。
ラジオではやはり震災関係の放送がかかっていた。車中の話題は、震災の話と7日間の出来事であった。
午後に無事病院に戻り分会長に報告後、それぞれ一週間の出来事を胸に刻みながら帰宅していった。

おわりに

我々の仕事は神戸市中央区の一人暮らし老人の安否確認、所在確認、健康チェック、家屋の損壊状態チェックをする事だった。振り返ってみると、地域あるいは一人暮らしの老人と関わる中で、自分の足を使い、自分で見て、被災者のそれぞれの思いを自分で聞き、実際に自分の体全体で感じる事が大切だと痛感した。
これはデスクワークでは決して出来ない事である。一週間の活動は、微力ながらも意味のある充実したものだったと思う。
最後に、短期間ではありましたが、後方支援して頂いた大阪市職労の方々、本当にお世話になりました。
また、震災で亡くなられた方々に対し心から御冥福をお祈りするとともに、被災された多くの人々に対し、一日も早い復興をお祈り申し上げます。
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theme : 今日の出来事
genre : 日記

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阪神淡路大震災 活動6日目

2月7日 (活動6日目)

街の様子
今日は、直接中央区の神仙寺方面へ訪問した。自転車での移動は坂道が多く、一部自転車を押して移動することとなった。山付きの民家の道路には自動車がひっくり返っている。
ここは土砂崩落の危険があり、避難勧告が出されているが、ほとんどの家が倒壊を免れており、まだ多くの住人がここで生活している。老人の中には暖を取れない為か、ホッカイロが欲しいと希望する人もいる。
12時、神戸市自治労中央本部災害対策本部へ行き、岩手県の人達へ活動内容の引継ぎを行なった。その後メリケンパークヘ戻り、いつもの美味しい昼食をご馳走になった。
長期間後方支援して頂いた多くの仲間に感謝しながら、一路京都へむかった。
国道2号線を利用して、灘区、束灘区、尼崎と見ていったが、神社の狛犬等も無残な姿で転がっており、道添いや路地に入った所は、ことごとく家屋は倒壊している。
街の様子

街の様子

豊中インターより名神高速に入り京都へ向かった。
夕暮も迫り宿探しをするが、どこのホテルも満室状態だった。
結局、祇園の古ぽけた旅館へ宿泊する事になった。昔で言う連れ込みホテルのようだった。
自動の水洗トイレと、外観と似つかないきれいな浴室があった。垢の浮いていない入浴は久しぶりである。
泊まれるところが有るだけましだ。
食事をするため繁華街を歩いてみたが、神戸では目にすることが出来なかったミニスカートを履いた女性がやけに目に着く。
土産店もごくごく普通に営業している。近くのレストランに入ってみた。
そこでは生の楽団が演奏していた。
神戸と違ってこの違いは何だろう~?ステーキをみんなで注文したが、これも神戸では考えられない事だ。
旅館へついて後は眠るだけ、テレビではやはり阪神大震災のニュースが流れている。
久しぶりの畳と暖かい布団でゆっくりと体を休めた。

theme : 今日の出来事
genre : 日記

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阪神淡路大震災 活動5日目

2月6日 (活動5日目)

目が醒めると外は白々としていた。
我々の食事の為に、大阪市職労の食事の係が炊飯に取り掛かっている。
とても有り難く、また美味しいのである。起床した者から順々に頂いていく。
ボランティア

今日は、下山手小学校にて老人の安否の確認に出向いた。
学校の玄関にはパンやジュースが置いてあり、早速に頂戴するが期限切れのパンだと知らなかったのは私だけであった。
医療班として在駐していたのは和歌山県の医療チームであった。
校庭の端っこにある水道からチョロチョロと出る水をポリタンクで運ぶ人の姿も見られる。
避難所では多くの避難者が特別することもなく横になっており、娯楽はまったくない。中には、そこから仕事に出掛けている人もいるそうである。
街の様子
ある公園で食事、その公園にはビ二ールシートで囲ったテントがあり、老人が生活している。
仮設トイレは一つ置かれていた。通りかかった給水車が「水は有りますか」と我々に声を掛けてくれる。とてもありがたいことだ。
街の様子
 倒壊家屋の解体作業に伴い粉塵が多く、ビルにはアスベストも多く含まれていて危険な状態である。
マスクがなければとても歩けない。
神戸では緊急自動車のサイレンはあたりまえの様にひっきりなしに鳴っていた。
飲食店が店先や歩道を使って営業をしている所もみられる。
活動を終了し、中央区保健センターヘ戻り、明日以降の地図落としを行なう。保健婦から『男性なので中央区の一番端の山付きの所』とご指名を受け、神仙寺方面を担当することになった。
街の様子
終了後、長田区方面へ出掛けた。火災が多く発生した場所であり、一面焼け野原になっている。ただ茫然とするだけで誰も言葉が出ない。
長田区の火災現場

長田区の火災現場

長田区の火災現場


トイレは無く、近くの小学校の避難所へ行き用をたした。仮設トイレが十個位置いてあるが、女子用はしっかりした作りになっているが、男子用のドアはカーテン式で、下の方がわずかに開いている。しかも大小兼用の為、小便の時は若干技術がないと命中しない。とても印象的な仮設トイレであった。ここでも給水車からポリタンクで水を運ぶ姿もあった。

通り掛かった市内のパチンコ屋のり店先には、「本日4時から開店!」と書かれており、すでに店先に並ぶ人も見られる。 本日も自転車で入浴に出向いたが、それにしても入浴のマナーが悪い。

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阪神淡路大震災 活動4日目

2月5日(活動4日目)

朝から私の自転車がパンク!原因は定かでないが、おそらく路上に落ちている危険物によるものか、アスファルトの段差によるものと考えられる。
出発して間もなくだったためちがう自転車と交換できたが、訪問申だったらとんでもないことになった。そう考えると自転車は大切なものだとつくづく思う。
2人にはその場で待っていただき、一度メリケンパークまで戻り、自転車を交換して再び活動を再開した。
下山手地区の民生委員の方は、地域の情報をよくつかんでおり、お年寄りがどうしているのかどこに避難しているのか周知していた。
家の外側は損壊状態は判らないが、裏側や内部の損壊は激しい。細かい路地等の古い家は崩れたままに残されている。
街の様子

住人と話をしていると飼い主を失った猫や犬が擦り寄ってくる。この場所は古くからの長屋が多く、お互いに寄り掛かりながら全壊を免れているが、一階はとても住めるような状態ではなかった。
一人暮らし老人の当事者の声として
「誰も来てくれなかった」
「老人宅へPHNがこなかった」
「相談窓口や物資の有る所、給水所までは足が悪くて行けない」
「家屋の補修が出来ない」
「相談窓口がどこか分からない。そのため申請に行けない」
「外に出るのも億劫で細々と家の中に有るものを使っている」
「水も3日前のものを使用している」
「外へ出ようという気になれない」
「全く食べていない」
「身内が近くにいない」
「19日目にようやく入浴出来た」
「夜になると変な人が来て、壊れた家のなかを覗いていく」等。
避難所や役場等にはお知らせや様々な援助物資、各種書類や申請書等溢れんぱかりに揃っているが、見落とされているのが一人暮らし老人である。こういった人々は高齢で身体も不自由な方が多く、身寄りの無い人もいる。テレビやラジオ、新聞等でいくらお知らせしてもそこまで行く事が出来ないのである。電話での所在の確認も良いが、実際に自分たちの目や耳で確認する事がとても重要ではないだろうか。
街の様子
昼食を下山手公園にて、住人30名位が昼食のうどんを食べており、我々にも「食べていって」と気さくに声を掛けてくれる。
地区役員5~6名やボランティア7名で運営している様子。暖を取るため常に焚火をしている。
物資もわずかではあるが衣類・おむつ・生活用品が置かれている。公園の柱には『山口組3代目組長あの味は一生忘れません』と書かれてあったのが印象的であった。
あるお宅ではこういった状況のなか、震災にあって幸いと思っているらしく、「これからの生活はマンションが有るから困らない。丁度立て替えようと思っていた。」と、我々を家の中までつれて行き、説明してくれた。
街の様子
中央区保健センター内の会議室に設けてある大勢の人が休憩していた。医療救援の部屋があり、保健婦の「粕汁をたべていってください」の一言につられ入って行き、粕汁を手にし奥にあった椅子に腰掛けたところ、私は不幸にして粕汁をこぽしてしまった。
椅子や床、椅子のうえに置いてあった携帯電話等に掛かってしまい、あわててティッシュで拭いていたところ「あんたはどこの者だ、そこで何をしている、ここは我々が使っていた所だ。」等と滋賀県の男に怒鳴られた。
その後、事情を説明し退却するが、大谷氏によると退室するまで我々を睨んでいたとのこと。
我々の目的は被災者の救援であり、こんな時こそ協力体制が必要なのに自分の場所の確保がそれほど重要なのか。それとも私が携帯電話でも使うとでも思ったのか。どちらにしてもとんだ災難に見舞われた。
街の様子
活動を終了しメリケンパークに戻る途中元町へ出掛けてみた。
町の中は観光と思われる人の姿も見られ、中華街は物凄い人で賑わっていた。
アーケード街は人ばかりで自転車での移動は困難にちかかった。
浮浪者の姿も見られ、リヤカーに荷物を乗せて引っ張ったおり、頭部に大きな絆創膏が貼ってあったのが印象的であった。

theme : 今日の出来事
genre : 日記

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阪神淡路大震災 活動3日目

2月4日 (活動3日目)

起床後、○谷氏は便秘ではないが、訪間中に便を催すことを恐れ、当院から持参した浣腸液を持って仮設トイレヘ駆け込んでいった・・・しばらく戻って来なかった。
後で聞いた話だが、「人が通る度に開けられはしないかと心配して出る物も出なくなってしまうと」行っていた。確かにその通りだ。
○井氏は「出ないけど、この位は平気だよ~」と言っているが、内心はどうだったか分からない。
出来立ての暖かいご飯を頂き、それぞれの自転車で神戸市市役所の自治労中央本部へ出掛けた。
そこで指示され場所に移動し、道路を挟んだ建物の地下へ行った。
そこは各地から派遣された女性が寝泊りする場所で布団が多く積まれていた。
そこでは岡山県からの派遣されたかっぷくの良い女性が指揮をとっていた。
そこでの仕事は神戸市中央区の一人暮らし老人の安否確認、所在の確認、健康チェック、家屋の損壊状態チェックをするために、民生委員から上がってきた歳末たすけあいの名簿と地図を照合することだった。
この作業だけで半日を要するほどの量だ。
この日、我々は多門町通りや橘通りを担当し、自転車に分乗し出掛けていった。
土地感がないので地図だけが頼りである。
自転車は自動車より自由が効く、交通規則を守らず我が道である。が危険はつきもの、左折してきた自動車に引かれそうになった。
昼食はラーメン屋に入ってみた。器は使い捨て容器を使用しており、メニューも少ないが当たり前だ。
潰れたビル

潰れたビル2
町を走る車は全て災害復旧車や一般車両であり、しかも復旧作業の為通行出来ない道路や一方通行が多く、市街地の道路はほとんど渋滞している。
一日中交通麻痺の状態だ。そのため交通手段としては、徒歩は体力的に不可能な為、自転車やバイクが必要である。町中や道路、歩道にもゴミが散乱していたのが印象的だった。
トイレの使用については、仮設トイレは有るが基前のトイレはほとんど水は流れない。
街の様子

支援活動を終了。混雑すると思われた入浴も幸いにして待ち時間は無く、スムーズに入浴が出来た。
長い一日がようやく終わった。
大谷氏と私は慣れない自転車の為か、股関節痛を訴える。
○井氏は若さがあるのか・・やせ我慢か?睡眠を妨げる雑音が多いため、今日から耳栓を使用した。隣(永井氏)の軒も聞こえず○谷氏も私もゆっくりと入眠出来た。

theme : 今日の出来事
genre : 日記

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阪神淡路大震災 活動2日目

2月3日 (活動2日目)

起床後、食事を頂戴したが、○井氏は物凄い食欲であった。若いことはいい事だ!
長田区役所へは医療物資もあったため自動車にて移動した。
区役所前は緊急車両で渋滞している。区役所前には仮設の電話やファックス等があり、多くの人が利用している。当分会へもファックスを利用し分会長へ送信した。

長田区役所から撮影
長田区役所
 
区役所の入り口の階段は壊れており、普段は車椅子用の狭いスロープを使用して出入りをしている。
区役所へ入ると、人が歩ける位の通路を残して避難者が横たわっており中には犬も同居している。電気は来ているがエレベーターは使用出来ず、そのため階段の昇降を強いられた。
老人や肢体不自由の人には辛いものがある。
区役所内にある避難場所は一階ロビーと2階と地下にあり、特に1階はドアを開けると寒風が入り、最悪の場所にいる。3階から上は相談窓口となっている。
各階段にはボランティアが様々の申請書を持ち立っている。
我々は医療物資を運ぶため上記の通路を使用し5階の保健センター迄荷物を運び入れた。
普段階段を使用していないため体力に限界を感じる。
しかしそこで医療物資は足りているとのことで、おむつ以外は持ち帰ってくれと言われるが、強引に置かせて頂いた。
センター内の入り口は仮設の診療所が設けてありで看護婦・医師が在中し診療にあたっていたが、実質的には患者数も少なく、一見暇そうにもうかがえた。
長田区役所特に保健センターの相談窓口は冷静(全く不自然)に構えていた。特に保健所のある女性職員は、白衣を着て自分のデスクに終始座っており、命令もするでもなし、相談を受けるでもなし、電話がなっても取ることもせず、この有事の時にいったい何をしているのか腹立たしく見えた。
又、他の保健婦は主にデスクワークで電話での安否の確認や健康状態をチェックしている様子。
昭和伊南病院の医療班は自前の緊急自動車を利用して患者の搬送を行ない、飯田病院の医療班は保健婦と一緒に寝たきり老人の訪問を行なったようである。
しかし大半の保健婦は自らの足を使っての活動はあまり見られない。コーディネ一ターなのであろうか。
役人やボランティアが相談窓口となっているが、実際の相談は少ないようである。緊急物資は山積みされているのが現状だろうか。
我々は保健婦に指示されセンター内にあるメンタルヘルツセンターに行き、救援活動を申し出たが、そこでは主に相談に来る人への援助と電話相談を行なっていた。
相談件数もさほど多くないようで、人員も充足され、我々が行なうことはないようだ。そこで精神保健センターヘ行くように言われ、地図を頼りに徒歩で国道2号線を30分歩いて行った。
街の様子

途中市街地を見て歩いたが、ビルや民家全ての建物が倒壊しており歩道にも建物が押し崩れてきたりしている。
又商店街(アーケード街)は一部消失しているところもあり生活の場は全く失われている。ようやく保健センターヘ辿り着くと精神科の医師と男性の2名しかおらず、その男性は封筒の宛名書きを行なっていた。
医師の説明によると「仕事としては精神科患者の収容と搬送で現在救急車が一台確保してあり、通報があるまで待機待ちである。搬送や収容にはボランティアというわけにはいかない。看護士が必要である。」という。
又「実質的な件数はほとんどなく、24時間拘束になる」との事で我々としてはせっかくの活動がともすれば何もせずに終わる事も考え、丁重にお断わりをしてきた。
街の様子
長田区の保健センターに戻り、保健婦に事情を説明し、我々は一度自治労本部に戻り再度検討することにした。
食事をしてから自動車でメリケンパークヘ戻るが、途中交通渋滞に巻き込まれた。
信号が代わってもなかなか進むことが出来ない。要所要所に警察官がおり、交通整理にあたっている。
メリケンパーク4
その後、メリケンパーク周辺の海岸へ出掛けていってみた。岸壁はことごとく破壊され道路も亀裂が入り危険な状態。神戸のシンボルタワーは被害を受けず立っていた。
 このころより○井氏便秘状態が始まったようだ。
メリケンパーク5

メリケンパーク6

theme : 今日の出来事
genre : 日記

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阪神淡路大震災 活動1日目

1995年・2月2日 (活動1日目)

午前9時30分、車への物資の積み込みが終了して、病院の玄関にて出発式を行なった。
事前に分会が連絡してあって、駒ケ根日報やケーブルテレビが取材に来ていた。
分会長の激励を受けた後、派選者を代表し○谷氏が挨拶した。
多くの組合員に送られ出発した。
 午前10時ごろ、昭和伊南総合病院の医療班と合流し、中央高遠道にて一路神戸へ向かった。
途中長野県医療班、長野赤十字社と養老パーキングエリアにて合流した。
名神高速豊中インター迄は順調に進んだ。
豊中インターのゲートを開けてもらい阪神高速を使用(一般車両は通行禁止)。
日赤の運転はとんでもなく早く(そんなに飛ばしていいの?)、見失わないようにするのが精一杯だった為、どこを通ったかあまり記憶がない。
高速をおりて国道43号に出たが、既に渋滞していた。
往路は緊急車両用道路を使用した。
4時頃震度3を自動車内で経験した。いまだに余震が続いている。
 4時30分、自治労の災害対策本部に駒ケ根より約7時間で到着した。
メディアで報道された神戸市水道局のビルは見事につぶれていた。

宿泊に使用したバス★
メリケンパーク

液状化現象が起こったメリケンパーク阪神災害★ 
メリケンパーク2

メリケンパーク船着場の近くの公園の一角に、我々の宿泊する場所があったが、震災当時の液状化現象痕と地割れ等も見られ、砂が辺り一面覆っていた。
船着場やその公園は地盤が上下左右に沈下あるいはひぴ割れ危険な状態であった。
活動の拠点となる現地は大阪市職労が用意したバス6台、給水車1台、テント、自転車数代、炊出用のコンロ、物資(食料)、テント内にはストーブ3台、等が用意されていた。
大型バスの座席が取り外されており、床には段ボールが引かれ、毛布数十枚、布団等も用意されていた。
後方支援としてこれ程までに用意して頂くとは思いもよらなく頭の下がる思いだった。
トイレは公園内のトイレを使用したが、女子便所は使用できず男子トイレを使用した。大便は水をバケツで運んで用をたしたら水を流す状態であったが、数日後使用出来なくなった。

メリケンパーク3
入浴はメリケンパークから自転車で5分の船着場に自衛隊の船2隻が接岸されており、その一角に自衛隊が設営した仮設の入浴場がある。
男は偶数日、女は奇数日となっている。まず自衛官から整理券をもらい、仮設のテントヘ行く。そこにはコンクリートの上にシートが引かれ、その上に毛布が引かれていて、自衛隊の小さなストーブか置かれている。
風よけ程度の物であるが、なかなか暖かい。
次に番号を呼ばれ、エンジンを掛けっぱなし(暖房がかなり効いている)の自衛隊音楽隊のバスヘ乗り込み、また番号を呼ばれようやく入浴できる。
入浴場は10×10メートルの広さはあり、石鹸やタオル、髭剃、水、洗濯石鹸、衣類等の物資も置かれている。
浴槽は幅3メートル×5メートル位の浴槽でそこから洗面器で湯を汲んで体を洗うようになっている。入浴に来る人の中には、学生・労働者・地域の住民・支援に来た人・浮浪者等様々。
はじめは湯気で見えなかったが浴槽内は物凄い垢が浮かんでいる。
しかし気にはしていられない。入浴のマナーは全く守られておらず、石鹸は洗い場にゴロゴロしており、包装紙やゴミなどもそのまま放置されている。自衛官が時折来ては注意を促す姿があった。
 夜間とても冷込み寒さはとても厳しいものだった。
永井氏の睡眠は早く、軒をかいていた。
神経質な私にとって人の鼾は少々辛いものだった。
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